2019-07-23

六甲の山々を駆けめぐった孤高の人・加藤文太郎とは?

加藤文太郎は、大正から昭和初期にかけて活躍した社会人登山家です。
登山が裕福なものに限られた高級なスポーツであった当時に、
社会人として働きながら休暇を利用し日本アルプスなどにおいて
伝説的な登攀記録を数多く残しました。

しかも、当時はパーティを組んで登攀することが常識とされていた中、
単独行に、特に冬山での単独行にこだわり、
その当時に前例がなかった長距離縦走を踏破していきました。

登山を愛するすべての人へ

今、ソロ登山好きの方はたくさんいらっしゃると思いますが、
その開拓者といえるのが加藤文太郎なのかもしれません。

登山の楽しみ方は自由。でも「なぜ山に登るのか?」「なぜひとりなのか?」。
ふと、そんな疑問が頭に浮かんでくることも。
加藤文太郎も同じだったのかもしれません。
その答えを見つけるためにも、山を登り続けたのかも。

ご本人の著作集『単独行』や、
加藤文太郎の生涯を描いた新田次郎『孤高の人』などを読むと、
登山への愛とともに、登山や単独行への葛藤が伝わります。
登山を愛するすべての人が共感できるものがあると思います。オススメです!

『新編 単独行』 (ヤマケイ文庫)  加藤文太郎著 山と溪谷社

『孤高の人(上・下)』新田次郎著 新潮文庫

新田次郎は富士山側候所勤務時に加藤文太郎と一度会ったことがあるようです。

『単独行者 アラインゲンバー新・加藤文太郎伝(上・下)』
(ヤマケイ文庫) 谷 甲州著 山と溪谷社

新田次郎の『孤高の人』とは異なる視点で加藤文太郎が描かれています。

ラクラクと六甲全山を縦走!? 

六甲全山縦走の簡略コース

加藤文太郎が登山にハマったきっかけになったのが、六甲の山々。
神戸の三菱内燃機製作所(現・三菱重工業)で働くかたわら、
六甲の山々を駆けめぐったと言われています。

なかでも、須磨から宝塚までの六甲全山を1日で縦走し、
その足で神戸に戻ったというのは、超人的。
しかも、ものすごく速かったらしいです!

社会人であり、冬山にこだわった加藤文太郎は、休暇の多くを冬登山に使い、
それ以外は六甲の山々でトレーニングを行いました。
週末に六甲で鍛え、日本アルプスに挑戦するという、
現在の関西ハイカーの王道ルートを拓いたのも加藤文太郎だったのかも。

加藤文太郎ゆかりの縦走コースに挑もう

加藤文太郎ゆかりの縦走コースを踏破するイベント
「KOBE六甲全山縦走・半縦走大会」が毎年11月に開催されています。
エントリー受付は、8月中です!


KOBE六甲全山縦走・半縦走大会

エントリーシートをダウンロードできます。

ポケットには甘納豆と煮干し

社会人であった加藤文太郎にとって、登山に費やせる時間は限られていました。
少ない時間で、いかに困難な冬山に挑むのか。 そのために考えをめぐらせ、
装備や食料、日頃のトレーニングなどを工夫したようです。
その様子は新田次郎の『孤高の人』にたくさん描かれています。

行動時に効果的に食事を摂るため、ポケットには甘納豆を常備。
『孤高の人』では小魚の煮干しも常備していたように描かれています。
山小屋やビバーグ時には、コッヘルで甘納豆を温めて、
ぜんざいや小豆氷にして食べていたようで、ちょっとおいしそうかもと!

趣味にも仕事にも本気で打ち込みたい人に、力をくれる

『孤高の人』には、石を入れたザックを背負って通勤したり、
庭でビバーグの訓練をしたり、 社会人登山家としての努力が描かれています。

もちろん時代や労働環境もまったく違いますが、
趣味も仕事も諦めず本気でやりたいと思う人にとっては
共感や勉強できる部分が多く、力をもらえます。

冬山を愛し、冬山で眠る

加藤文太郎は、厳冬期の槍ヶ岳北鎌尾根に挑みますが、
吹雪のなか遭難し、30歳で生涯を閉じます。
それは単独行ではなく、信頼あるパートナーとの登攀でした。
そこに、何か思いをめぐらせてしまいますが、
加藤文太郎の登山や生涯にふれると、いろんなことを考えさせられます!

登山好きな人や、仕事や趣味を楽しみたい方は、
ぜひ加藤文太郎の本を手にとってみてください!

↓個人的に気に入った、加藤文太郎の言葉を集めてみました!

↓加藤文太郎がよく登った「高取山」をハイキング

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