2019-08-06

阪鶴鉄道ストーリー。知っていると旧福知山線廃線跡ハイキングがさらに楽しくなる!

明治時代に開通し、昭和61(1989)年に廃線となった
旧JR福知山線「生瀬駅―武田尾駅」の区間をめぐることができる
人気のハイキングコース「武庫川渓谷廃線跡」。
そのハイキングがさらに楽しくなる、ちょっとした鉄道物語をご紹介します!

明治のおもかげが残る武庫川渓谷廃線跡

もともとは私鉄だった!

武庫川渓谷沿いの路線は、 昭和61(1986)年に廃線になりますが、
もともとは「阪鶴鉄道」という私鉄がつくりました。
しかも今から約120年前の明治時代に。

日本の鉄道の草創期です!
そんな線路跡をハイキングできるんですから
鉄道ファンだけでなくてもワクワクします。

阪鶴鉄道ってなに?

「阪鶴」とは、大阪の「阪」と、舞鶴の「鶴」を合わせたもの。
その名の通り「大阪」と「舞鶴」を鉄道で結ぶため、
明治中期に大阪財界人が中心となり立ち上げました。

日清、日露の二つ戦争と同時期に運行していた鉄道会社

この当時、日本は日清戦争に勝利し、清国(中国)から領土を割譲しますが
ロシア・フランス・ドイツに干渉され一部を返還します。
三国干渉ってやつですね。これにより国境を接するロシアとの緊張が高まり、
日本は軍事強化を急ぎます。日露戦争の前夜の話です。

すでに舞鶴は軍港としての開発が進んでいたのですが、
対ロシアの軍事戦略上、さらに重要な拠点となり、
鉄道によって大阪から物資や兵隊を運ぶことは、
国家的にも欠かせないものになりました。
そこに目を付けていた阪鶴鉄道の嗅覚は鋭かったんですね。

舞鶴までは遠かった…。でも諦めません

ただ、大阪と舞鶴を結ぶことは、簡単にはいきませんでした。

実は、別の鉄道会社「京都鉄道」が京都から福知山、舞鶴へと鉄道を敷くことを
国に許可を取っていたため、福知山以降は先を越されてしまいます。
「京都鉄道」は、現在のJR嵯峨野線の原型をつくった会社です。

一方、大阪から尼崎(当時は神崎)も官営鉄道があったので、
こちらも許可がおりません。

それでも、尼崎から池田を結ぶ摂津鉄道と合併し、
許可が下りた尼崎(神崎)から福知山までの工事を着々と進め、
明治32年に開通させます。これがJR福知山線の礎となります。

舞鶴への旅は、途中から川下り

ここから面白いのですが、
実は、福知山以降も諦めていませんでした。

鉄道がダメなら、舟がある!と
鉄道が敷けない区間は、京都北部を流れる由良川での舟運を計画します。

すごい執念です。

現在は鉄橋で有名な「由良川」

その執念が奏功したのか、「京都鉄道」の舞鶴への鉄道敷設が難航し、
けっきょく福知山以降は官営主導で鉄道を敷きます。
これにより阪鶴鉄道も乗り入れが可能になり、
舞鶴までの直通を実現しました。

初の乱闘国会で、国有化。終焉を迎える

阪鶴鉄道が運行したのは、たった10年ほどでした。
当時は、私鉄が濫立し、輸送の不効率や賃金の高騰などの問題が発生。
そこで私鉄を国有化する議論が盛んになり、ついに、
明治39年、主な幹線路の私鉄を国有化する「鉄道国有法」が公布されました。
この法案が成立の際には、国会がヒートアップし、
日本初の乱闘国会になったそうです。

これよって阪鶴鉄道も国に買収され、終焉を迎えました。

阪鶴鉄道の痕跡をめぐろう!

この阪鶴鉄道が使っていた蒸気機関車が、東品川公園に展示保存されています。検索すると、画像が出てくるので、ぜひチェックしてみてください。

蒸気機関車イメージ

阪鶴鉄道は、茸狩列車を運行するなど、
今でいう列車ツアーも行っていたようです。商売上手だったですね。

そんな阪鶴鉄道の約10年の軌跡に思いをはせ、
廃線跡を歩いてみると、さらにハイキングを楽しめると思います!

↓武庫川渓谷廃線跡ハイキングの紹介はこちら

【参考文献】
『武庫川渓谷廃線跡ハイキングガイド』21世紀の武庫川を考える会・編 日本機関紙出版センター
『日本鉄道史 幕末・明治編』老川慶喜著 中公新書
『ひょうご懐かしの鉄道』神戸新聞総合出版センター編

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